おジャ魔女わかば
第14話「あずさの一日」
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“トントン……ガチャ”
 ノックに続いて、扉が開く。入ってきたのは30代の優しそうな細身の男性。そこは彼の小学5年生になる娘の部屋だった。中でお風呂あがりの茶髪の少女がドライヤーで肩くらいまである髪を乾かしている。
「草太さん、どうしたの?」
 川井かえではドライヤーを置いて、入ってきた父親に言う。かえでの家庭ではお互いを名前で呼び合っている。これは対等に付き合い、自立して欲しいという父、草太の方針らしい。
「かえでさん、明日の土曜日の予定は?」
 草太はニコニコして言う。かえでは苦笑いする。この笑顔には逆らえない。かえでは考え事をするような仕草をしてみせる。明日は夏休み最後の土曜日という事になる。大事な大事な夏休み最後の週末だった。…でも。
「別に予定は無いけど…たぶん、わかば達とグダグダって感じかなぁ?」
「そっか、じゃ、行くぞ」
 草太は嬉しそうに言う。
「行くって、何処に?」
 かえでは何気なく尋ねると、草太はニッコリと微笑んで言う。
「明日のお楽しみだよ。って言っても、僕は仕事なんだけどね」
「はぁ?」
 かえでは意味が分からないと首を傾げる。

***

 ここは京都のとある大きな商店街の一番端に店を構える和菓子屋。その名を魔法堂と言う。伝統深いたたずまいを醸し出しているが、実際は2年前に出来た結構新しい店だ。早朝で商店街は物音一つしないほど静かだった。魔法堂もシャッターが下りていたが、店内の厨房は灯りが燈っていた。そこで長い黒髪を束ねた少女が、お菓子の材料の下ごしらえをしていた。彼女は日浦あずさ、この店の手伝いを始めて一年になろうとしていた。あずさは厨房の壁に貼られたポスターを見て呟く。
「もう一年になるのか…」
 ポスターには『夏休み親子和菓子教室』の案内が描かれていた。店主の魔女・マジョリーフ(人間界では山本葉子と名乗っている)が毎年夏に親子を集め、和菓子作りを教えるというものだった。あずさとマジョリーフは一年前、このイベントで知り合った。


 あずさは両親と商店街の近所のマンションに住んでいる。両親ともに自由気ままな性格で、お互いに内緒で愛人を作っていたみたいだ。あずさは年のわりに大人びていてしっかりしていたので、両親は子育てに苦労を感じた事は無かった。その為か、両親は次第に仕事と自分の事にかまけて、あずさをほったらかしにするようになり、家にも帰ってこない。いつしか事実上、あずさは1人暮らしと言っていい生活を送っていた。
 両親が家に戻らない理由を薄々感じつつも、この生活の中であずさの心は必要以上に他人を求めなくなっていった。

 一年前。夏のある日、あずさは良く利用している近所の商店街に来ていた。その端の…いつもは見向きもしなかった和菓子屋の前で不意に引きつけられる気がして立ち止まった。あずさは少し距離をおいて、店の方を眺めてみる。店にはたくさんの親子連れが入っていく。あずさは知らず知らずの内に少し羨ましそうにそれを見ていた。そこに声をかけられた。
「あなたも、一緒に和菓子作りを学びましょ」
 優しい声に振り向いたあずさの瞳に飛び込んできたのは、ビラをもった小柄なおばさんだった。ビラには『夏休み親子和菓子教室』と書かれていた。
「私、親いませんから」
 あずさは目をそらし、そう言って帰ろうとした。
「じゃあ、私が今日だけ、あなたのお母さんじゃ、不満かしら?」
 おばさんは優しく言う。あずさは困惑した。正直、嬉しかった…が、それを素直に示せない性格がすでにあずさの中に形成されていた。おばさんは自分を葉子と名乗り、あずさの返事を待たずに店の中に引っ張っていった。まるであずさの心を見透かしているかのように。あずさはたいして抵抗する事無く、なすがままに連れて行かれた。

「それでは、今日は桜餅をつくりましょうね」
 お店の2階部分が教室の様な意外と広い部屋になっていて、大きなテーブルに材料と調理器具が乗せられた物が数台ならんでいる。葉子はホワイトボードの前に立ち、集まった親子達に説明を始めた。あずさは葉子の隣で大人しく立っていた。
「まずは、桜の葉の塩抜きをします。ボールに水を入れて、葉を漬けておきます」
 みんなに説明しながら、葉子はあずさにそれをするようにとウインクする。あずさは、手元のテーブルで、桜の葉を手にした。葉子はそれを嬉しそうに見ている。
「次にお餅を作ります。この道明寺粉を…」
「道明寺粉?」
 あずさは粉の材料を手に首を傾げる。それを見て、葉子は説明する。
「道明寺粉と言うは、水洗いしたもち米を水に漬け、蒸して乾燥させた物を粗挽きしたものです。大阪にある道明寺というお寺で最初につくられた事から、この名前がついているそうなんです。関西の桜餅には、これが使われてます」
 葉子の説明に興味を持ちながら、あずさは葉子に言われるままに、熱湯に砂糖を入れ、そこへ水に溶かした食紅をいれて色をつける。それを道明寺粉の入った鍋に入れ、木杓子でかき混ぜながら火にかける。
「上手ね」
 葉子はあずさの手つきに感心して言う。
「…自炊してますから」
 あずさはそっけなく答える。葉子はあずさの家庭を想像してしまい、少し悲しそうな顔をするが、あずさに気付かれない内に笑顔を作って言う。
「沸騰したら、約10秒おいて火を止めて、2時間蒸らします」
 こうして、蒸し時間の間、休憩となった。

 あずさは外に出て伸びをする。
「お菓子作りって…手間がかかるのね」
 呟いたあずさの足元に桃色の毛のペルシャ猫がよってくる。いつもなら気にもとめないあずさだが、今日は何となく、手を出してみた。すると可愛らしく懐いてきて、つい、抱き上げてしまう。
「あなた、お店の猫なの?」
「ニャ!」
 あずさの言葉を理解しているようなタイミングで猫が鳴く。
「不思議な子ね。このお店のオーナーと同じだわ」
「不思議…それは良い意味と受け取って良いのよね」
 後ろから声をかけられた。葉子が出てきたのだ。
「何で、私に…こんなにしてくれるんですか?」
 あずさは尋ねる。葉子は考え込んでしまう。そして、素っ頓狂な感じに答える。
「理由がいるかしら?」
 あずさは真剣に葉子を見つめたままだった。葉子はそれを見て…。
「あなた、ここに…このお店に引き寄せられたでしょ。ただ、それだけなのよ。私はそれに応えたいと思った」
 と言って、葉子は振り返って店の方へと帰っていく。