おジャ魔女わかば
第48話「虹宮の空」
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 季節は春の入り口に足を踏み込んだ感じの三月の初め。早朝の虹宮を少女が自転車で走り抜けて行く。早朝と言ってもかなり早い時間なので、人もほとんど居ない寂しい街だった。あと数時間もすれば人で溢れかえる駅前を抜けて、その先にある病院の建物のほうへ向って行く。自転車の前カゴには肩掛けの鞄。首からはネックストラップでコンパクトなデジカメがぶら下げられている。
“キュッ”
 急に自転車を止めて、少女は電源を入れたデジカメのファインダーを空に向けた。約500万画素のセンサーが捉えた空の姿がデジカメ裏面の液晶画面に映し出される。薄い雲の広がるまだちょっとだけ暗い青空だった。それを確認しつつ、少女はシャッターボタンを押し込んで今、頭上に広がる空の風景を“カシャ”っと記録した。続いて、デジカメを再生モードに切り替えて、撮影した写真を見て行く。次々と切り替わる写真。街の景色や人物もあったが、大半が空の写真だった。
「ずいぶん溜まったなぁ」
 少女は液晶画面の中に広がる空を見つめて呟く。当然ながら、そこに同じ空は一つも無い。そして写真を切り替えている内に、その手が止まる。画面には緑の髪の少女がボケっとした表情で写っている。
「……今日こそは」
 その画像を見つめながら少女は願いを込める様に言う。そして再び自転車を走らせ始めた。自転車は病院の前までやってきた。彼女の名前は川井かえで。この二週間、ここへ来るのが朝の日課になっていた。病院の前の道から4階の病室の一室の窓をジッと見つめる。そこはカーテンが締め切られている。そして深い溜息をつき、涙を堪えるように唇を噛み締める。
「いつまで……いつまで待たせるのよ」
“ドサッ”
「ギニャーッニャーギャァー」
 何か大きなモノが茂みに落ちる音、そして猫の悲鳴に近い泣き声が聞こえ、かえではビクッと驚いていしまう。
「ニャニャニャ……」
 白くて丸々と太った猫が茂みから出てきて、ステテテと慌てて逃げるように走って行く。続いて……。
「いたたたたぁ……ビックリしたよぉ〜」
 続いて茂みからピンク色の髪の少女がお尻を摩りながら起き上がってきた。落ちてきたのはこの子で、あの猫を下敷きにしたみたいだとかえでは少し混乱しつつも納得していた。
「こんな所に出ちゃうなんて、未熟ねぇ〜私っ」
 と言ってから少女はかえでの存在に気付いて、大袈裟に驚く。
「ええっ、見た、見たられた。見たよねぇ!!」
「音がして、猫が飛び出して、あなたが出てきた……私が見たのはそれだけだと思うけど」
 一瞬ポカンとしていたかえでだったが丁寧に答える。少女はホッと安堵して言う。
「せぇーふっ。ごめんね、驚かせちゃって」
「ううん、平気だから。私、そろそろ学校へ行かないと」
 そう言ってかえではもう一度、4階の病室の窓に目をやる。さっきと一緒でカーテンが閉まったままだ。少女はかえでに尋ねる。
「あそこに何かあるの?」
「……」
 かえではしばし沈黙してしまう。
「ごめんね。立ち入った事を……」
 少女は慌てて謝る。謝らせてしまってかえでも申し訳無さそうに慌てて訳を説明する。
「あそこに友達が入院しているの。昏睡状態で半月眠り続けていて。いつ起きるかわからないそうなの。それで、朝になってあの子が起きたら看護士さんが、窓際に花瓶を置いておくって言ってくれたから、毎朝、それを確認に来ているの」
「そーなんだ。早く目が醒めると良いね、その子」
 少女は真剣にかえでを見つめ、そう言った。かえではその言葉が嬉しくて……。
「ありがとう。私、かえでって言うの。あなたは」
「私はふぁみ」
 変わった名前にかえでにちょっと首を傾げつつ、首にかけているデジカメの電源を入れる。
「良いかな」
 かえではデジカメを指差してふぁみに尋ねる。
「あ、もろもろの事情で、写真駄目なんだよぉ、ごめんね」
 ふぁみは手を合わせてかえでに言う。かえでは“そうなんだ”という感じにカメラのレンズを空に向けて一枚撮影する。
「空?」
 そんなかえでの行動にふぁみは尋ねる。
「うん。空は二度と同じ表情は見せないから。あの子が起きたら一杯見せてあげるんだ。あの子が寝てる間の空を」
「そっか。そうだよね。勿体無いもんね。きっと喜ぶよ」
 かえでの答えにふぁみはそう言って賛同してくれた。そして……。
「それじゃ、私、行くよ。おばあちゃんに会いに行くんだ。今から。ここ、美空町だよね」
 ふぁみは確認するが、かえでは首を傾げて答える。
「ここは虹宮だけど」
「虹宮って?」
「兵庫県」
「兵庫県?」
「関西よ」
「え……」
 こんなやり取りの後、ふぁみは言葉を失ってしまう。かえでは考える。
「美空町ってもしかして関東の美空市?」
 と、かえでが言うと、目が点状態のふぁみはぶんぶんと頷く。
「どっちの方」
「東の方だと思うけど……あっちの方」
 かえでは東を指差す。
「ありがとう」
 ふぁみは元気にそう言って走り出した。そんなふぁみに少し元気を貰えた気がしたかえでは学校を目指して自転車を走らせ始めた。しばらくして東に向って高速で飛び立っていく箒に誰も気付く事は無かった。

***

 虹宮北小学校に続く長い坂道。その途中にあるコンビニのイケメン店員。彼が店頭のゴミ箱のゴミを片付けていると、ヒィヒィと荒い息を漏らしながら坂道を登って行く白い太った猫に気が付いた。
「大佐。頑張ってるね」
 イケメン店員は気安く猫に声をかける。大佐というニックネームらしい猫は店員の方を振り向き、ゆっくりと前足を上げて挨拶をする。この猫、実はこの辺りでは化け猫と恐れられている長寿の猫なのだ。この店員は獣医志望の大学生で、猫好き。良く大佐に餌を与えているので、二人は顔馴染みなのだ。
「最近毎日、頑張って歩いているみたいだけど、全然、痩せないな、お前。何処で何食べてんの?」
 と尋ねる店員の言葉を無視して大佐は坂道を登り続ける。

 昼前、大佐は街の北側に位置する北森貯水池まで登って来ていた。そこには魔法堂という名前の占い屋があった。そこに入って行く猫。すぐに赤色の光が二つ降りて来た。
「大佐っ、どうだった?」
 赤い光は、小人型の妖精で、名前をキキとキュキュという姉妹だった。そのキキが大佐に尋ねるが、大佐は申し訳無さそうに首を横に振るだけだった。キュキュが言う。
「まだ……眠ったままなのか」