おジャ魔女わかば
第39話「ゆうきの試練」
1/5
 今から一年程前の事だ。その時の私には小さな虫かご程度の自由しかなかった。暗闇の中で後ろ手に縛られ、身動きも魔法を使う事も出来ずにいた。そう、腕さえ自由なら魔法でこんな所、簡単に逃げ出せるのに……。
「主任、何ですか、この荷物」
「新しい研究サンプルだよ」
「サンプルって、そんな物を何処で」
「マスコミに売られようとしているのを偶然に見つけてね、買い取ってきたんだよ」
 という会話が頭上から降ってきた。会話と同時進行で暗闇の天井が開かれていく。ガサガサと耳障りな音に耐えていると、明るい世界に出る。そして確認する。自分はまだ檻の中だと。周りには大きな水槽にピンク色の液体が満たされていて、ブクブクと気泡が生じていた。まるで化学の実験が行われている様に。
「いっ……いくら払ったんですか?」
 若い研究員だった。私の姿を見て驚いている。当然の反応だろう。彼等は私から見れば巨人。逆に彼等から見ると私は小人なのだ。もう一人、落ち着いた風貌の30代半ばという感じ白衣の男。若い方は主任と呼んでいるその男は人差し指を一本立てて答えている。
「経費で落ちるからな。しかし、それは上も納得済みだ。何故なら、このサンプルはEXPに似た力を使う。それもふたばより高出力なんだ」
「小型で高スペック。こんなモノを何処の研究機関が……」
「私はそうは思ってはいない。私はこれは天然物だと考えて……」
 沈黙する。どうやら、私は何処かの研究施設に送られたようだ。主任って奴の言う事は正解だ。私の名前はキキ。魔法界の妖精種。あまり知られたくないのだが本名はキュキュと言う。ガラスを拭いた時になる耳障りな音の様な、その名前が気に入らなくて、専ら妹の名前を騙っていた。魔法界の魔女の世界において妖精は、魔女のパートナーとして生きるのが一般的とされていた。私もそうだったのだが、私の主人(マスター)はもういない。突然、姿を消したのだ。それが10年前。行き場を無くした私は、マスターを探し求めて彷徨った。今は僅かな手がかりを頼りに人間の世界を流れていたのだが、ヘマをしてしまい、この有様だ。不覚にも人間に捕獲されてしまった私は見世物として多くの人間の目に晒される事を覚悟した。
「こんな物が世間一般に公開されては、混乱を引き起こすだけだし、我々の計画にも支障をきたす」
「確かにそうですが……」
 主任って奴の考えのおかげで私は晒し者にならなくて済んだようだ。しかし、このままでは私は何の研究かは知らないが研究材料とされ、最悪、解剖されてしまうのではないだろうか。ふと視線を上げると、若い方の研究員と目が合う。思わずそらしてしまう。
「まさか……この子が」
「どうしたのだね」
 若い研究員は私を見て、何かを思い出したように叫ぶ。そして尋ねる主任に答え始める。
「実は……本社の関連企業のウェブページの掲示板に“本社の地下に隠蔽されし秘密を頂く”という“怪盗ノワール”からの予告状が書き込まれていまして……」
「ほぉ……これを狙っている泥棒がいると」
 主任はあまり驚いた様子は無かった。
「やはり、この子の事でしょうか。若しくはふたばの事かと」
「ふたばの情報はまだ我々の管理下にある。外部に知られている可能性があるものと言えば、既に一部人間には知られているこっちの方だろう」
「しかし、その怪盗ノワールと言うのが、不思議な力を操る怪盗で狙った獲物は100パーセント手に入れていくという……」
「ならば、それも捕獲すればよかろう。我々の研究のサンプルとなるやしれん。警備を強化しよう……」
 と言いながら、主任が私の入った虫かごを手にしようとした瞬間、いきなり照明が消えた。真っ暗な世界で感じた急激な重力の変化とガラスの割れる音。体を押さえつける風圧に耐えているとしばらくして女の声がした。
「もう大丈夫よ」
 その女は虫かごの扉を開きながら、私に言う。それが私と怪盗ノワールことマジョシルフとの出会いだった。
「どうして私を助けた?」
 私はマジョシルフに尋ねた。
「ずいぶんな言葉ね。同胞が困っていれば助けるのは当然ではなくて。それに……私は昔、怪盗魔女として悪事の限りをつくした。でもある日、それが虚しくなった。今はその罪滅ぼしのつもりで、誰かを助けるための怪盗をしている。…バカだと思うでしょ、結局私には怪盗としてしか生きられなかったのよ」
 最初はムスっとしていたマジョシルフは次第に無理に笑ってみせるようになる。私はしばらくこの魔女と行動を共にすることを望んだ。マスターを失ってからこんな事を考えたのは初めてだった。数ヶ月という短い間だったが、世の中には彼女のような者を必要としている弱者がたくさん居る事がわかった、もちろん怪盗と言う行為を肯定するわけではないが…。そして運命のあの日がやってくることになる。

***

 魔女見習い龍見ゆうきは1級試験を明日に控えていたが、色々思う事があり眠れず、夜中に師匠のマジョシルフと妖精キュキュの3人で雑談をしていた。
「明日、絶対、元の姿に戻すからね…キキからいっぱい聞いたよ、マジョシルフを必要としている人がたくさんいるって、だから絶対!」
 ゆうきはゆるぎない自信をマジョシルフに見せる。
「ゆうき、お前…」
 当初はゆうきを育てる事を放棄したマジョシルフだったが、今では、立派な師弟関係を築いていた。その裏にはキュキュの頑張りがあった。
「ゆうき、お前、魔女になることをどう思っているんだ?」
 マジョシルフは前々から思っていた疑問をぶつけた。元々、マジョシルフを魔女と見破った事により強制的に魔女見習いになったゆうきだった。本人が望んだ事ではないのだ。しかし。
「今まで、誰にも言った事ないんだけど、実は魔女に憧れてた。でも非現実的だと思い諦めてたの、あなたに会うまでは…私、できればマジョシルフみたいな魔女になりたい」
 そう言って、ゆうきは顔を真っ赤にする。そして逃げるようにベットに滑り込んだ。
「明日のために、もう寝るね」
 マジョシルフとキュキュは顔を合わせた。
「キュキュ、今のゆうきとの関係を築けたのは、あなたのおかげだ…しかし明日の試験が終ったら…」
 キュキュは黙って頷いた。キュキュはマジョシルフに救われた恩に報いるために、マジョシルフ不在の間ゆうきについていた。マジョシルフが戻ってきてからも、ぎこちない師弟間の潤滑油として、尽力してくれた。でも、その役目が終ると、もとの放浪の妖精に戻るつもりだった。